大学入学共通テストについて思うこと

今日はちょっと、真面目なお話。

私が今回の改革について感じることを、少しだけ書かせて頂きたいと思います。

とりあえず英語の民間試験が延期になったことはホッとしています。生徒から色々ある試験の中でどれを受けた方がいいか聞かれた時も、正確な情報がないので的確なアドバイスができない状況になっていて、正直困っていました…。延期になった発端が「身の丈発言」であることは置いといて、まあ結果良かったんじゃないかなと思います。

しかし、この流れからの記述式もやめた方がいいんじゃないかという意見に関してはちょっと疑問に感じます。画一的な試験だと暗記すれば対策出来るので、思考力・表現力を育むために試験自体を改革をすると、一応文科省で決まったことだと思うんです。で、試験が迫ってきたら、運営側の準備不足だから止めろ!っていうのはちょっと乱暴だと感じます。

こういう批判って、ゆとり教育の時から本当に違和感を感じます。「詰め込みすぎだから、もっとゆとりを持たせろ」って、マスコミが駆り立てといて、ゆとり教育が始まったら今度は「国際競争力が落ちてしまったじゃないか!もっと詰め込め!」って何だか批判したいだけなのかって感じますね。初めに指摘したことは何だったのかなあ。

今回も同様。

世論も含め、マーク式に対して色々批判があって始めたものだと思うんです。だから、改革するんだと思うんです。確かにアルバイトの人が採点する不安や、自己採点しにくいテストであることは私も同感です。2次試験で記述を確認するから大丈夫という意見もあるでしょう。もちろん、私たちも対策する準備がなかなか進まず苦労はしています。

でも、国をあげて、試験のあり方について考え、記述式の導入に至ったわけです。試行試験まで実施した段階で、英語の流れにのって止めろっていうのはやっぱり乱暴じゃないかなと思いますね。英語の場合は経済格差や地域格差といった明確な問題点が浮き彫りになっていて、それを解消できる方法がないために延期になったんだと思うんです。(発言もあるけど…)

じゃあ、私たち民間教育として出来ることはなんだろうか?

それは、どんな試験であっても対応できる強固な学力を身につけてもらうことだと思います。したがって、試験だけの学習ではなく、学習内容に興味を持たせ、幅広い知識を身につけ、探求していく心を育むことが私たちの使命ではないかと感じています。そうすれば、試験方式云々なんて、どうでもいいこと。何があっても、ブレない学力を身につけること。これを目指したいですね。

今回は、ちょっと真面目に書いてみました。やっぱり真面目な記事は疲れるので、次回からはゆるーくいきたいと思います。